身の回りの生き物についてあれこれ書いてます。更新は1〜2週間に一度、週末です。詳しくはこちら。

2012年10月26日金曜日

しばしお待ちを

このところ、近づいてきた展覧会の準備で
更新が追いつかず。
落ち着きますまで、しばしのお待ちを...。
また、展覧会の方も、ぜひよろしく!

2012年10月8日月曜日

は虫類フェードイン

 毎日仕事場に通勤するのに電車を使っているが、
駅のホームから、ホーム外のロータリーに接する
広場の植え込みを何となく眺めている。
ここは、2年前ほどにロータリーを整備したときに
オカメヅタをホームの塀にそって這わせたのだが、
やっとオカメヅタがキレイに周囲を覆ってきたと
思った矢先に、先日めちゃくちゃな刈り込みを行って
丸坊主になってしまった。まったく、公共事業というのは
どうしてこう侘び寂びが分からんのか。とひとりムカムカ
しながら、みすぼらしい植え込みを眺めているのである。
しかも、オカメヅタを切ってみると、下に無数のゴミが
散乱している。ゴミを捨てるな!という怒りとともに、
なぜ刈り込みをしたときに一緒にゴミの清掃をしないのか、
という疑問もわき上がってくるのである。景観をキレイに
しようという志で公園、公共設備の整備、保守をしてる
のではないのだろーか?ぷんぷん。
という説教臭い愚痴から始まって非常に申し訳ないのだが、
その植え込みを見ていて、最近ちょっと楽しいのである。
なぜかというと、そのゴミと枯れ葉の吹きだまりをぼやーと
眺めていたら、ある時、視界の端に何か動きを感じる。
ん?ぎゅっと目を凝らして見てみると、はっ。
フェードインしたように急に気がつく。
たくさんのカナヘビとトカゲがいたのである!

カナヘビとトカゲ、みなさんは彼らがどう違うかご存知
かもしれないが、わたしは今まで、違いがよく分かって
いなかった。が、両方見比べると全然違う。
カナヘビはトカゲより一回りこぶりで、乾いた雰囲気。
トカゲは、カナヘビよりかなり大きい。表面も
つやつやと濡れたようで、色も濃い。いかにも「は虫類」
といった風格があり、肩周りも太い。蛇に手足を
つけたような感じだ。子供の頃は、シッポがキレイな
ブルーなのもカナヘビと全然違う。
動きも、うまく言えないがちょっと違う。カナヘビは
ひょこひょこ、トカゲはシュルッ、という感じだ。



そんな彼らが、枯れ葉とゴミの隙間からチョロッ、チョロッ
と見え隠れしていて、ついつい観察してしまう。
ホームの端っこにいるので、この間など、ついトカゲ観察に
かまけて、電車を乗り損ねてしまった。
植え込みを遠くから眺めているので、表情などは
分からないが、カナヘビはアップで見ると、猫にも劣らない
とてもラブリーな顔をしているはずである。

また、あるとき、家の近所を散歩がてらとなり駅に飲みに
行って、帰りに千鳥足で住宅街を通り抜け帰っていると、
各住宅の玄関の明かりのしたに、何か黒い生き物が
へばりついているのを発見、ヤモリなのである。
おうちの人が知らない真夜中、彼らは玄関先に
カム・トゥゲザーしているのである。
通りの何件かにいたので、観察してみると、彼らは電球色
より蛍白色のライトがお好みのようである。ライトに
群がる虫を狙っているのだろう。もう少し寄ってみたいな、
と思って他人様の家の玄関に近寄る不審な酔っぱらいで
あったが、さっそく「出会え出会え、曲者じゃ、わんわん」
とそのお宅のお座敷犬に気配を悟られ大騒ぎされてしまった
のであえなく退散したのであった。
(家守にお座敷犬、なんとご加護の多い幸せなお宅で
あろうか。)
というわけで、遠巻きのは虫類との邂逅、もう少しそばで
見てみたいなーと思う。人間の目に高度なズーム機能が
あればよいのにね。

ところで、ラウンジリザートという言葉がある。
社交界を徘徊するひとのあだ名であるが、その言葉を
聞くと、わたしはどうしてもフロアにふんぞり返る
ジャバ・ザ・ハットを思い浮かべてしまうのである。
人知れずたくましく生きるトカゲ達よ、フォースと
共にあれ。



2012年9月22日土曜日

宵待草のくれないの恋人

さて、派手な蛾である。
まずは皆さん、Schinia floridaで画像検索をして
ビックラしてほしいのである。
こんな感じの、ストロベリーチーズケーキみたいな
蛾なのである。

 このお方は、アメリカの中心から東の方に分布
しているらしく、待宵草(月見草の仲間)に特に
食性を示す、2.6cm〜3.5cmぐらいの蛾だそうである。
むろん、わたしも見た事はない。このような
見た事のない、あるいは一生見る機会のないものを
見られるとは、まったくもってインターネットとは
シュペール!マーベラス!ハラショー!なのである。
ちなみに、待宵草は、竹久夢二が(間違えたのか?)
宵待草とも呼び、同タイトルの詩を詠んだのが
有名である。

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 
             今宵は月も出ぬさうな

一夜でしぼむ待宵草の花の儚さに託す恋心を描いて
いるのだが、待ち人来たらずとも待宵草の蜜は
蛾達には人気なのである。

日本にもいる可愛いピンクちゃん、ベニスズメ
も待宵草を好む。ベニスズメはスズメガの仲間で
素人がざっくりスズメガの仲間を見分けるのは
簡単である。体型がかの懐かしき人類夢の高速
飛行機「コンコルド」なのである。
ホウジャクやスカシバなどもスズメガの仲間である。
花の蜜を好み、この高速機的体型でせわしなく
ホバリングしながら 蜜を吸っている。

また、スズメガの幼虫類は、ピンと立ったシッポで
判別出来る。成虫もいもむしも、大型であるので
発見すると何か得したような気がする。
(のは、わたしだけかもしれない)。

もう一種類、小さなピンクちゃんも紹介。
マエベニノメイガ。小さな蛾である。
このお方が幼虫の時に食べてるのは、これまた
紫の実がつややかな、オオムラサキシキブである。
(食べるのは葉っぱである)。まったく、自然には
美しさが満ちあふれてるのであるね。

美しさと言えば、なぜ待宵草は彼らピンク族を
引き寄せるのだろうか。 わたしの独断によると、
それは、何か神様的なもの(いや、わたしは
無神論者だけど、そのような大きな宇宙の意志)
が、「待宵草のペールイエローに、こんな
ピンクをトッピングしたら、とってもすてきな
世界にならない?」とウキウキしながら決めた
のではないかと思う、うん。

2012年9月17日月曜日

尺を取られきると死ぬという都市伝説があります

夕方、ベランダの水やりをしていると、セセリチョウを
見るようになった。スカシバなども飛んでいる。カネタタキ
も鳴いている。夏の終わりである。少し涼しくなった
夕風に頬をなでられ、クリス・レアとかそーいうの
聴いちゃうぞ、ビール飲んじゃうぞ。という、キンモクセイ
にはまだ早い、甘酸っぱい切なさの名残りの季節である。
が、季節とはあまり関係なく、いつもベランダで見かける
虫もいる。尺取り虫などはその代表である。冬以外は
ちらほらいつも見かける。
先日などは、妙にサルスベリの木がさっぱり、というか
丸坊主だなあ、と思ってよく見ると、4匹もお食事中
であった。ほどほどにしてほしいのだが、わたしは
どちらかというと芋虫けむし愛好家 なので放ったらかし
である(ただ、チュウレンジバチの幼虫は大家族過ぎて
やっかいなので、卵を見つけたら枝ごと取ってしまう、
かわいそうだけども)。

おたまじゃくしはかえるの子、尺取り虫はシャクガの
幼虫。名前の通り尺を測るようにひょこひょこするのも
かわいいが、普段は大体「私は枝です。木なんです」と
かたくなな態度なのも面白い。シャワーホースなどで
水やりをしていてうっかり水をかけてしまうと、
「あわわのわ、大変大変水だ水」
とじたばたするのがかわいらしいが、しばらくすると
また「木ですよ木、動いたなんて、やだなあそんなの
気のせいですよ」という生真面目な姿に戻るのが
またおかしい。

うちにいる尺取り虫は、だいたい変哲のない、平凡な
地味な緑色のものばかりなので、たぶんヨモギ
エダシャクの幼虫ではないかと思う。ヨモギエダ
シャクの成虫は、これまた地味なのである。子供は
枝に似せ、大人になると木肌や岩肌に似せる。
地味に身を守ってきた平和的小市民気質の蛾である。
 シャクガで比較的派手なのは、シロツバメエダシャク
とかだろうか。雪の妖精みたいな、ホラちょっと
あそこの方。何か高貴な方じゃないかしら?みたいな
雰囲気である。

ま、地味なのもいいのだけども、やっぱり派手なのに
惹かれてしまうというのも人の性。というわけで
次回は、普段日常であまり見ない、派手な蛾について
書こうと思う。プリティ・イン・ピンクなのである。
蛾が。

2012年9月9日日曜日

あわわ、来週には。

ちとばたばたしていて、更新がお留守なのだけど、
来週には必ずや。

2012年8月26日日曜日

毎日が肝試し

映画「エイリアン」が好きだ。怖いが、好きだ。
ホラー映画はあまり得意ではないが、エイリアン
にはホラーだけでないロマンがある。
まず、エイリアンの造形がよい。あれは人間が
(いや、わたしが)怖いと思うツボをよくとらえている。

●顔がよく分からない。目がない(ように見える)
●黒光りしている。
●動きが速い 。

 ↑このあたりまで、端的にいうとゴキブリなのである。
そのくせ、体つきは人間なのである。ゴキブリ人間。
これが怖くないわけがない。(あと、口から口が
出てくるのもすごく恐怖のツボだが、あれはなぜ怖い
のか、まだよく分からない)



ただ、ゴキブリ人間であるだけではまだ物足りない。
何か、あのぎょっとする感じ、どこかで知っている
気がする。なんだろう。と常々思っていたが、
思い当たった。女王蜂、女王蟻。あの、スペシャルな
風格 がエイリアンにはあるのである。と気づいたのは
最近女王蜂に邂逅したのである。

仕事場のベランダ、大変せまい、30cmぐらいの鉢を
並べたらいっぱいくらいのスペースだが、そこに
西洋ツゲの鉢植えがある。
あるとき、水やりをしていたら、妙に蜂が飛んでいる。
あれ、と思ってツゲの枝の間を覗き込んでみたならば、
果たして、アシナガバチご家族ご一行がマイホームの
建設中なのであった。ううむ。このころサイズ2cm
ほど。留守中に撤去してしまおうか、しかし常に
お留守番さんが何匹かいるので、チャンスがない。
しかも、じっと見つめていると、微動だにせず巣を
守る姿がどうにも健気に思えてくる。どうしようか。
逡巡してるうちに、すっかり10cmほどの立派なお家に
成長してしまった。
わたしは蜂に刺された事はないのだが、刺されるのは
大いなる恐怖である。wikipediaのアシナガバチの
項目にも「刺されると死ぬ可能性もあるので刺されたら
すぐ皮膚科に行くこと」と書いてある。いざこざを
起こさずに共存するには、とにもかくにも巣を刺激しない
事らしいので、最近は水やりが命がけなのである。
そうっとバケツで木の根元にゆっくり水をやりながら、
注意深く巣を見る。蜂達は、じっと巣を守るもの、
忙しく働くもの、いろいろであるが、ある時、ついに
女王蜂に謁見あいなったのである。
そのサイズ通常の3倍ぐらい、堂々の貫禄。マザー
エイリアンは、ゆりかごを静かに揺らしている。
わたしの夏のホラーなのである。 しかも、体験型の。
ただ、水やりのたびに目が離せない。このホラー
にもまた、ロマンがあるからだ。 


(余談...ちなみに「エイリアン対プレデター」には
ロマンが全くない。)


2012年8月5日日曜日

悲しき処女飛行

今日はすこし悲しい話だが、おつきあいいただきたい。
休日の夕方、ベランダの植物に水やりをしようと、ホースを
握ってベランダに出た。
ぴやぴや、ぴやぴやと近くで鳥の声がする。振り返り、柵の
外をみると、至近距離でツバメが横切り旋回していった。
(わたしの家はマンションの3階だ。)そしてそれとは
別のもう一羽が、ふらふらと目の前の道路に舞い降りた。
目の前の道路は車通りが激しい。
あぶない。早く飛びなさい。ツバメはまた羽ばたこうと
する。宙に再び舞ったその瞬間、あっ。と思った時には
無情に車が通り過ぎ、地面の上でその黒い固まりは
動かなくなった。
上で旋回していたのは親鳥だったのだろう。
轢かれたツバメは巣立ち直後の成鳥だったのだろう。
親はただうろたえ、周りを旋回している。
わたしは、子供の頃、教科書で読んだ梅崎春生の
「猫の話」を思い出していた。その話の中で猫のカロが
轢かれたシーンそっくりだった。

一縷の望みを持って慌てて外に出てみたが、無惨、
わたしがエレベーターを下りる間にもう何回も轢かれ、
変わり果てた姿になり、親鳥もあきらめ、飛んで行って
しまった。せめて、マンションの植え込みに埋めてやる
ぐらいしかもう出来る事はない。スコップで木の根元に
埋めてやり、顔を上げると、 ほんのひとときの間に
夏の夕暮れは暗く沈み、最後の夕日が遠くの空を美しい
グラデーションに染めていた。
今日があのツバメの最後の日だった。
もしかしたら、世界に飛び立った最初の日だったのかも
しれない。

子供が育って、意気揚々と世界に出て行く。
美しい世界が広がっている。そして残酷な死も待ち
受けている。けれど、生き物はいつも、不安と恐れ、
そして期待に胸膨らませて飛び立って行くしかない。
わたしたちは数えきれない偶然が作る織物の生を、
その偶然の儚さに気づきもせず過ごしているのかも
しれない。

身近な目撃者としてのセンチメントが、世界で起こる
ありとあらゆる自分の知らない悲しい現実に対しては
何の役にも立たない自己満足の感情だとも知りつつ、
やはり書き留めずにいられない。

せめて、安らかに。今頃、空の高い高いところで
旋回していますように。